何故男と女は恋に落ちるのか。恋愛のあれこれを暴露します!

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帰国後のデヴィ夫人-人生

豪邸

2015年10月1日更新
テーマ:男女の出会いとありえない人生

亡命したフランスでは「ドゥミ・モンド」・「東洋の真珠」・「社交界の華」とも呼ばれ、
かずかずのロマンスの噂を流したデヴィ夫人は1980年にインドネシアに戻り、
石油関連の事業を興します。
またインドネシア政府のその後の方針変換により、
スカルノ元大統領の第3夫人としての遺産分与も行われました。
しかしインドネシアに戻ったデヴィ夫人ですが、
すでに元大統領夫人としての立場は失っていて、以前関係していた日本政府や日本の企業も
クーデターで失脚したデヴィ夫人を相手にしませんでした。

1991年には亡命先のフランスから、アメリカのニューヨークへ移住します。
翌年の1992年1月2日にはコロラド州で、傷害罪の罪で逮捕されます。
第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャをワイングラスで怪我をさせたのです。

実はその数ヶ月前にスペインのイビサ島で開かれたパーティで出会い、
ミニーがそのパーティで将来フィリピン副大統領になるつもりだと語り、
側にいたデヴィ夫人が吹き出したのです。
この傷害罪でデヴィ夫人は禁固60日の実刑判決が言い渡され、34日間刑務所に収監されます。

この時のことをデヴィ夫人は、「刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった」と
言い放っています。
刑務所を出たデヴィ夫人はその後、日本に帰国します。
帰国後のデヴィ夫人は得意な語学を活かして、
各国の大使などを招待して慈善活動などのチャリティーパーティを開催しています。
インドネシアに長年いたのでインドネシア語はもちろん、インドネシアで学んだ英語や、
亡命先のフランスで学んだフランス語を自由自在に操れます。

一方では2000年に出版した著書「デヴィのチョット一言よろしいかしら」では、
著名人の言動を批判し、おおくの著名人とのバトルを展開します。