何故男と女は恋に落ちるのか。恋愛のあれこれを暴露します!

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デヴィ夫人のその後-人生

海外のお札

2015年10月2日更新
テーマ:男女の出会いとありえない人生

1965年9月30日に起きた軍事クーデターで
インドネシアを離れフランスへ亡命したデヴィ夫人ですが、
フランスへ亡命する前にデヴィ夫人はインドネシアにある日本大使館に亡命を考えます。
しかしスカルノ大統領を倒し
、新たな大統領となったスハルト大統領と日本の関係を配慮し断念します。
実はスカルノ大統領の元へ「東日貿易の秘書」としてインドネシアへ贈ったのも、
当時「昭和のフィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫と後に首相になった
池田勇人が関係していたことが後に判明します。

そのためデヴィ夫人は、フランスへ亡命します。
亡命したフランスでデヴィ夫人は、「ドゥミ・モンド」(La Traviata)と呼ばれます。
「ドゥミ・モンド」とは半社交界という意味で、
1855年にデュマ・フィスが書いた風俗劇の名前から生まれた造語で、
裏の社交界を指す言葉です。
「高級娼婦」とか「高級コールガール」と翻訳される場合もありますが、
デヴィ夫人の場合は明らかに異なります。

フランスでデヴィ夫人は元大統領夫人として、
フランスの社交界で貴族や著名人との出会いなど、
かずかずのロマンスの噂が流れ何度か婚約の発表もします。
そんなデヴィ夫人に対して半分やっかみもあり「ドゥミ・モンド」と呼ばれたようです。
スカルノ元大統領はクーデターを予想し、
クーデター以前からスイスの銀行へ巨額の資産を持っていました。
その資産の多くは日本からインドネシアへの経済援助や、
日本への資源の輸出などへの賄賂と言われ、その仲介役を務めたのがデヴィ夫人でした。

しかしデヴィ夫人がフランスへ亡命した時期は、
その資産もインドネシア政府に凍結されデヴィ夫人には渡っていなかったようです。